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2005年12月27日 (火)

「異端」という言葉の問題性

 エクレシアMLでは、現代の信仰を語る際に(教会史上の用語、神学上の客観的な概念として使う場合は別として)「異端」(heresy)という言葉をできるだけ使わないようにお願いしており、これはオフィシャルルールにも明記してあります。

 それは「異端」は「正統」(orthodoxy)の反対語であり、歴史的に、「正統のキリスト教」を名乗る己の教義上の主張を絶対化し、相手を迫害するために使われて、教会の中ではすでに手垢にまみれ、客観性・相対性を失ったと言える言葉だからです。今なお、「異端」という言葉に客観性・相対性を持たせつつ論じている尊敬すべき先生もおられますが=宮本久雄先生による岩波キリスト教辞典の「正統と異端」の項参照=、教会実務の上では、今さら客観性を持たせて使うのは相当困難ではないかというのが私の感想です。

 特にローマ・カトリックに所属する私は、「正統」「異端」の言葉が形作ってきた歴史に、強烈な内部批判を持っています。エクレシアMLの設立趣旨には、それも影響しています。

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 私は、「けしからん宗教」を論じる際には、伝統的キリスト教の枠組み(そもそも、どこまでが伝統的キリスト教かという問題がありますが)との違いは、マイナスには考えません。

  簡単に言ってしまえば、理屈としては「『正統』でけしからん宗教」「『異端』でまともな宗教」ということも十分あり得るということです。

 宗教抜きに明らかな反社会性、犯罪性をもって「けしからん」と言うことは可能だし、被害者が声を上げるべきケースもあります。たとえば統一教会がそうでしょう。宗教とは別のレベルで「けしからん」団体だと言える。その活動の犯罪性=勧誘時に嘘をついたり、教義の全貌を明かさないまま絶対的服従に持っていくカリキュラム、霊感商法など資金集めのアンフェアさなどを追及するのはよろしいし、大いにやるべきでしょう。

 でも、それは宗教の教義についての議論とは、いちおう(完全に峻別できるかどうかは、保留します)一線を画する。その「いかがわしさ」は、伝統的キリスト教のみならず、仏教もイスラームも無神論も全部含んだ、社会一般の倫理規範から導き出されるべきであり、伝統的キリスト教からの教義上の乖離の度合いとは全く関係ない。(ただ、伝統的キリスト教ではないのに、それを想起させる名称を使って活動する団体の是非という問題は残りますが、ここではそれは保留します)

 統一教会など破壊的カルトの犯罪性と「異端」概念を短絡し、破壊的カルト対策と「異端からの救出」とを同一視してキャンペーンを張る個人やグループが、いまだに一部に存在するとも聞きますが、この発想には、きわめて問題があり、異端概念の導入は破壊的カルト批判側の「自爆」と言うべきであろうかと思います。(2005/12/28/8:42修正)

 

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コメント一部受け付け(方針変更)

 2005年12月20日の記事(すでに削除済み)で、当サイトは、コメント及びトラックバックの機能は設定しないと明記しましたが、方針を変更いたします。トラックバックを設定しない方針は継続しますが、コメントの一部を試験的に受け付けます。

 コメントもトラックバックも設定していなかったのは、ブログツールを使ったウエブページは「対等な議論」目的には不向きであり、ML管理者のブログという性格上、「対等な意見交換をしたい方は、MLに参加していただきたい」ということが理由でした。その見解は今も変わりません。

 私は、ブログは、ライターの(ある意味一方的な)意見発表のツール だと考えております。対等な議論のツールとは考えておりません。トラックバックやコメントは、あくまで補助的な交流手段であり、たとえて言えば、新聞記事 に対する読者の意見投稿のようなものであって、そのシステムの性格上、記事本文と対等なものにはなりえないと考えております。

 しかし、当ブログが、エクレシアMLの内容や雰囲気を入会前に確かめたいというような目的で読まれる場合、入会前の疑問解消という意味でのコメント欄活用は、有益な場合もあると考え、判断を変更いたします。

 当サイトの記述内容への質問、エクレシアMLの趣旨、ルールや内容への質問をコメントとしてお寄せください。

 ただし、コメンテーターは、エクレシアMLに興味をお持ちで、かつ、エクレシアMLに在籍したことがない方、さらに管理者がエクレシアML入会の拒否権を発動もしくは留保したことのない方に限らせていただきます。当サイトの記事内容やエクレシアMLへの質問ではないコメント、意味不明のコメント、単なるご挨拶のようなコメント、宣伝、宣教、アジテーションなどは、目的外書き込みとして、管理者がすぐに削除をいたします。その他、管理者が不適当と判断したコメントは、すべて削除させていただきます。

 また、すべてのコメントにお答えできるとは限りません。当方の知識経験が、責任ある対応ができるほどのものではない可能性も高いと思いますので。放置されても怒らないでくださいね。

 短いコメントのやりとりで済まないような本格的な「議論」に突入すると予想される場合は、コメンテーターにはエクレシアMLへの入会をお願いし、それまでのやりとりをMLに転載し、議論はMLで行うものとします。
 コメンテーターがMLへの入会やコメント内容のML転載を拒否したり、あるいはコメンテーターが上記書き込み資格を満たさない場合、満たさないと推測できる場合は、すべてのやりとりを即刻打ち切り、全コメントを削除させていただくことがあります。

 さらに、迷惑なコメントが多いようであれば、この試験的なコメント受け付けは、すぐに終了させていただきます。

 以上の条件を満たす場合のみ、コメントを付けてくださってけっこうです。

 朝令暮改(^^;)で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

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2005年12月25日 (日)

御降誕おめでとうございます

 御降誕、おめでとうございます。

 キリスト教の信仰をお持ちの方にも、また、そうでない方にも、教会に通っておられる方にも、また、そうでない方にも、すべての方に全能の神の恵みが分け隔てなく等しく注がれ、それぞれの最も良き形の救いに導かれますように。

 小さくされている人々のために地上にあらわれ、羊飼い(当時の下層労働者)と占星術師(当時、宗教的メーンラインから遠く離れているとされていた人々)が真っ先に誕生の場に招かれたイエス・キリストの福音を、私たちがそれぞれの生活の「たたかい」の中で、証しすることができますように。

 救い主であり解放者である主、イエス・キリストの御名によって。

 アーメン。

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2005年12月19日 (月)

エクレシアMLは「正義のML」ではない

 エクレシアMLの特徴のひとつは、議論・対話を行うことによって信仰を深めるというアプローチを選択していることです。

 誤解していただきたくないのですが、管理者は、議論を奨励するエクレシアMLのポリシーが絶対的に「正義」だなどとは全く思っておりません。正しいとか誤っているとかいう話ではない。エクレシアは、ボコボコに殴り合うことを非としない場所も「あってよい」と選択する人々のコミュニティとして設立したということであり、そのポリシーが肌に合わない方には、管理者としては「もともとあなた向きのMLではなかったのですね」と申し上げるしかない、ということです。

 このMLが肌に合わなければ、別のコミュニティを探すなり、自分で構築していただければいいだけのことかとも思います。ネットの中だけでも、ウエブページ、(ここのような)ブログ、SNS、MLなど、たくさんのタイプの情報発信手段がありますし、さほどお金も手間もかけずに自分でコミュニティを立ち上げることができます。

 エクレシアMLは、たくさんある交流の試みの中の「ひとつの実験」にすぎません。そのアプローチに適応できる方には、とてもおもしろく、豊かで、有益な場所になりうると思います。しかし、それが「万人向け」であるとは、管理者も考えてはおりません。

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2005年12月13日 (火)

「リング」としてのエクレシアML

 エクレシアMLは、もともと6年前に、キリスト者が多く集うあるコミュニティで、「『正論』(何が正論であるかは相対的ですが、その議論はひとまず保留するとして)を相手に全力で叩きつける者」に対して、正論であるかどうかをあまり問題にせずに「激しい論争は雰囲気を悪くする」というような意味のことをおっしゃる「優しい」人々が多くおられまして、それに対する反発を感じた人間(私もそのうちの一人です)が立ち上げました。

 ですから、殴り合ってボコボコになりつつ、どうにかして議論を続けようと模索を続ける方向性がない方には、このMLは「向きません」。まあ、ボコボコにされて気持ちがいい人はいないかもしれませんし、その際に泣いたりわめいたり怒鳴ったりすることが当然の場合もあります。

 しかし、それはそれとして、正論(繰り返しますが、何が正論であるかという議論はひとまず保留するとして)によってボコボコにされることが本質的に問題であると感じる方や、他人が正論でボコボコにされることが感情的に「かわいそうで耐えられない方」にとっては、このMLは、そもそもご縁がない場所だと思います。

 ただし、エクレシアMLは、いつもいつも上記のような激しい論争ばかりやっている場所ではありません。むしろ、投稿本数としては、生活雑記や冗談などの方が多いかもしれません。議論なんぞは真っ平ごめんという方には、少々つらいかもしれませんが、そうでないならば、あまり身構えずにご参加いただければと思います。

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2005年12月12日 (月)

特殊性を分かっていただきたい

 事前にルール文書群などを読まずにML入会登録なさっておられるのではないかと思われる方が、ときどきおられます。

 MLのルールと相容れない手法(内容ではなく手法の問題であることにご注意ください)の書き込みに対して、管理者が注意すると、とんでもない曲解やねじ曲げで応対してくる。曲解の多くは手法と内容の取り違え、批判と非難の取り違え、そして自己絶対化が原因ですが…。結局意思疎通が成立しないままに退会してしまう。

 エクレシアMLは、「相互の信仰理解の相対化を試みる」「議論で叩き合って信仰を深める」という、かなりユニークなMLです。キリスト教系MLとしては「実験的」「特殊」と言っても差し支えないでしょう。管理者は、かつて別のキリスト教系コミュニティで「伝統的キリスト教の破壊者」と罵倒されたことすらあります。

 管理者個人の意見を率直に申し上げれば、ルール文書などを読んでもMLの傾向がつかみきれないという方には、少しの間はROMの状態でいて、MLでどのようなやりとりがなされているのか観察・評価していただいた方がよろしいかと思います。その上で発言していただいた方がトラブルが少ないのではないでしょうか。

 

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MLへ久しぶりにおいでになった方へ…「8月リセット」のお知らせ

 エクレシアMLは、2005年8月に、既存の登録アドレスを全部削除して、参加継続を希望なさる方には、あらためての登録をお願いしました。このため、2005年8月以前に登録なさっていた方で、8月以降、再登録作業を行っていない方に対するMLメールの配信はストップしております。あらためて登録作業を行っていただければ、メール配信は再開されます。

 なお、上記の事情は、まったく新しく登録参加なさる方には影響はありません。


 

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2005年12月11日 (日)

試験的に設置しました

 エクレシアMLの稼働状況報告や管理者からのお願いなどを、試験的にブログ形式にしてみます。

 ただし、せっかくブログ形式にしたのに単なる連絡コーナーじゃおもしろくないので、これからエクレシアMLへの参加を検討なさっておられる方に向けて、MLのポリシーをあらかじめ知っていただけるような雑文も少しずつ掲載していくつもりです。

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